「一年の計は元旦にあり」は遠い昔の話となってしまったのか

お正月はどのようにお過ごしでしたでしょうか。

正月中、思い切り飲んで食べて遊んで楽しんだとしても、すでに仕事も始まり、お屠蘇気分はすっかり消えた人も多いかもしれませんね。

ところで、昔から一年の計は元旦にありということで、なにがしかの決意を胸に秘めて新年に望んでいらっしゃ方もおられるかと思います。

私もうんと若いころは、毎年、かくあれかし、という思いを胸に新年のスタートをきっていました。しかも、その目標を紙に書いて、勉強机に張ったりなんかしましてね。

決意の内容も、「英会話ができるようになる」とか、「決めたことは絶対に実行する意志の強い人に成る」なんて、今思うと若かったんだなぁと、その頃の自分を懐かしく思い出します。

しかし、歳月の流れとともに、いつの間にか元旦の決意の内容も緩やかになり(例えば「専門書を読破する」のかわりに「風邪をひかないように気をつけるとか」)、絶対の使命として掲げてきた目標は、「それを実現する方向で努力する」なんて、まるでゆるキャラの如くとなってしまった感があります。

そもそも、克己心なんて言葉じたいを脳が受けつけなくなってる感じですね。それを紙に書いて机に貼り付けたとしても、すぐに剥がれ落ちるであろうことは必定です。

しかし、ではもう新年の目標なんて立てても全く意味がないのか、というと私は必ずしもそうは思いません。

たとえ、どれほど小さなことであっても、仮にそれが目標というより、なんとなくの方向性といった程度のことでも、何かしらの指針を自分のなかに持っているのといないのでは、その人が望むことを実現できる可能性に差が出てくると思うのです。

私も、とても他人様に言えるほどのことではありませんが、なりたい自分になれるよう、方向性を意識してこの一年を過ごしたいと考えています。